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山本弘の正しいビブリオバトル本とは

関東大震災中国人大虐殺 仁木ふみ子

山本弘著「悪夢ふたたび……」の参考文献であるこの本について紹介したいと思います。
この本では、この大虐殺の事を平時の国内における民族的犯罪であると正しく伝えています。
組織的計画的に行われたこの虐殺では、ついでにあいつらもこの際片付けろという以心伝心がありました。
抵抗の意思を持たない中国人を一気にやっつける公認の人殺しは彼らに主役の快感を味わわせ、家から薪割りや竹棒を持ってかけ出したと子どもたちが語るこの土地の住民は、動員されたものではなく、むしろ野次馬がプラスアルファのエキストラになりました。
惨殺は軍民なれあいのなぶり殺しの風景で、ここには加害者がいて、被害者がいて、喝采する観客がいて、傍観者がいる、典型的ないじめの構図がそこにありました。
主役は軍隊であり、これに迎合する群衆が喝采しながら、無力な相手に自分も手を出している。そこには典型的な異邦人排除の観念がありました。
「日本の祭りがこわい」といった留学生がいます。ワッショイ、ワッショイとみこしをかつぐ人々を見て、どうしてみんな同じことが出来るのだろうと言いました。同一性の中に埋没し陶酔するかぎり個人の責任は問われない。赤信号も「みんなで渡ればこわくない」のです。
古事記」に出てくる荒ぶる神々の原始の生命は、日本民族の特性で、地震のたびに爆発するのではたまりません。ここには大きな国民教育の欠陥が露呈します。
混乱に乗じて暗殺された社会主義者の王希天と友好関係にあった学生たちが、後に中国共産党の主要メンバーとして、あるいは背骨の通った市民として中国解放に身を挺したのに対し、虐殺事件を隠蔽した主役達が、日本軍国主義の主要メンバーとして侵略を推進したのも歴史の必然です。
一九九三年、この事件を追うことは日本人および日本社会の致命的欠陥を凝視することになるのですが、今もあの時と変わりません。いじめの構造も、異質のものと共存できない体質も、「脱亜欧入」の観念も、右にならう習性もまるっきり変わっていません。
憲法第九条はあっても自衛隊の海外派兵が論じられ、「日の丸」「君が代」は復活し、教育の国家統制はすすむ。大虐殺を引き起こした要素は、一九九〇年代の今日、そのまま存在します。
「国民自身が、直接に負担すべき責任」を具体的に追求することが日本人に問われています。
というような内容の事が書かれているこの本を読んで、もしいずれ阪神淡路や新潟、東日本や熊本で大震災が起こったらどうなるのか考えただけで恐ろしくなりました。